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第3話
「時価」には弱い。
2005.03.07


私は、「時価」に弱い。

お寿司やさんのカウンターに座って、お品書きに、うに○○円、赤貝○○円、穴子○○円……、シマアジ「時価」。などと書かれているのを見ると、ほぼ間違いなく、一瞬の躊躇ののち「食べるでしょ、やっぱり」と思ってしまう。時価というのは、辞書を引くと「商品などのその時々の市場価格。」と書かれているが、実際は、どう考えても「時価=高い」という意味で使われているとしか思えない。イタリア料理などでも、「本日の魚 時価」などとあると、「それほど貴重なのかしら?」と思う。結果、8割の確率で「時価」を選んでしまったりする。期待値という、ビミョーな心理を突かれているに違いない。

「お任せ」もこれに近い。ワインや魚の調理法を選ぶのにも、「お任せします」と言った瞬間、「内容」をお任せしているだけでなく、「価格」もお任せしてしまっているわけだが、何か特別なものかもしれない「期待感」に包まれて、一瞬それを忘れそうになる。お店にとっては、私は「格好の餌食」かもしれない。

よく考えてみると、高そうだと分かっていてもそれを選んでしまうのはレストランやお寿司屋さんでの時価に限らない。たとえば、私にとっては、ごく日常的な、薬と食料品がそうだ。

頭で考えれば当然のこと。マーケティングなどでいうところの(私は詳しくないけれど)、価格決定にブランド・イメージが大きく作用するという説明になるのだろうか。

インターネットのおかげで価格比較が簡単になり、テレビやパソコ
ン、家具などを買うためには、機能や品質で絞り込んだうえ、安い店を探せるようになった。洋服なども、品質やデザインと価格を吟味して選べばいい。一方、薬も食料品も、経験してみなければ品質が確かめられない(薬によっては経験しても差が見えない)。だから、後者の場合に何を選ぶかは、ブランド好きでなくても、広告などによるその商品イメージを頼ることになる。それでも収集がつかない場合は、最後になぜか、「きっと、高い方がよく効く(おいしい)に違いない」と思ってしまうのだ。甘い……とは思うけれど。

特に最近、私を悩ませているのが野菜と納豆だ。10年程前まで(考えてみると古い話だが)、店に並ぶ「有機野菜」というのは限られていたように思う。私は当時、たまたま取材でとてもおいしい有機野菜に出会った。キャベツの芯やにんじんを生のまま食べた瞬間、「懐かしくて濃い野菜の味がする!」と思った。それが「有機野菜」との初めての出会いだった。そして、それまで食べていた野菜には味がないと気づいた。以後、私はレストランで、ドレッシングの味しかしない「生野菜サラダ」というものを残す日が続いた。そして、自宅では、有機野菜を買って食べるようになった。ところが、ある日、普通の野菜の2倍の値段はする有機野菜たちが、さほどおいしくないことに気づいた。「味に差がない!」。そう思った瞬間、2倍の値段を払っていた自分をひどく後悔した。「有機」というだけなら、私は2倍の値段は払わない。

ところが。最近、居酒屋のメニューでさえも、特定の農家から取り寄せた「有機野菜」に出会う。スーパーにも、有機野菜だけで数種類が置かれている。だから再び、「もしかしたら、おいしいかも」と期待が膨む。食べてみなければ分からないし、あの最初の感動はないだろうと知っていながら、私は凝りもせず、スーパーの売り場で野菜と価格をにらみつける。大好きな納豆も同じ。「遺伝子組み換えではない」「有機大豆」「黒豆」……。「これ!」という品には出会えぬまま、行くたびに違うものに期待をかける。

ただひとつ、揺るぎないのは、旬の食べ物はおいしいということ。だから、「時価」と言われてちょっぴりお高いモノに出会っても、それが季節ならではのものならば、その特別感を楽しみたいと思う。家事の時間を節約しようとついつい冷凍食品や加工品に余分なお金を払っているのに比べれば、小さな贅沢だと思うから。



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